世界に残る普遍的価値

 

クーデターの最中、トルコのイスタンブールで開かれていた世界遺産登録委員会で、上野の国立西洋美術館が世界遺産に登録されました。

以前のエントリー、

「近代建築と日本人の教養」

近代建築と日本人の教養

でちらっと触れましたけど、この美術館は、フランスの建築家ル・コルビュジエの設計によるものです。

今回は、世界に点在する彼の作品のうち、この国立西洋美術館を含めた17点が一括登録。

17作品を一括してということで、日本、フランス、ドイツ、アルゼンチン、ベルギー、インド、スイスの7カ国の共同推薦というのも珍しい。

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これまで2度登録を見送られてて、3度目の正直だったみたいですね。知りませんでした。

世界遺産に登録するってのは、そんな簡単なことではないんだなー、ってこの舞台裏のお話読んで思いました。

世界遺産登録の舞台裏(上):上野の西洋美術館、最後まで難産の世界遺産登録

世界遺産登録の舞台裏(下):「失格」寸前からの大逆転 上野の美術館、世界遺産に

 

各国から推薦された文化遺産は、国際連合教育科学文化機関、いわゆるユネスコによって、遺産リストに登録されるわけですけど、ユネスコが決定する前に、諮問機関(ICOMOS:イコモス)が現地調査、書類、いろいろチェックするらしい。

んで、ここでの評価、「登録」・・OK、「情報照会」・・もうチョイ追加資料必要、「登録延期」・・今回は見送り、「不登録」・・ダメ、でほぼ決定するみたいです。

 

そもそも、世界遺産とは何か。

ウィキによりますと、「遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき『顕著な普遍的価値』を持つ物件」

とあります。

 

「普遍的価値」

なんとも微妙というか、定義の難しい概念だと思います。

モノの価値なんてものは、見る人によって違うわけだから、それを普遍的なんて形容詞を付けると、それこそ、人の命であるとか、自由とか、そんなモノの枠を超えた概念になるんじゃないかと、ワタクシ思うのであります。

んが、

世界遺産条約のガイドラインによると、普遍的価値とは「国境を越えて人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性を持つような、傑出した文化的な意義及び、または、自然的な価値を意味する」とある。

・・・。

なんか、よくわからんけど。

まあ、ここでは深入りはやめときます。

 

近代建築の巨匠とも呼ばれるコルビュジエが、今に見る画一的な風景を生み出したという、ネガティブな意見もある中で、今回の一括登録に至った根拠は、建築におけるモダンムーブメント、つまり、これまでの狭い範囲での建築文化、様式の枠を超え、世界に共有される建築文化の潮流が生み出された、そこに「普遍的価値」が見出されたことにあります。

 

様式やしつらえを排除し、徹底的に機能性を追求する。

結果として、シンプルなハコに落ち着く建築のあり方は賛否両論あれど、近代の機能的な生活に合致した、自由な空間を生み出したことは間違いない。

ロマネスク、ゴシック、アールヌーボー、これまでの建築史の中で、様々な建築様式が、時代とともに花開き変遷してきたが、その多くは、歴史的に芸術が盛んなヨーロッパ地域、そして、ヨーロッパ各国が植民地としてきた国での建築文化である。

もちろん、アジア、アフリカ、中東、それ以外でも、それぞれ独自の建築文化が生まれ、変遷を繰り返してきたことと思う。

 

が、世界で共有の文化として近代建築が広まっていったのは、20世紀になって、情報や技術が、大陸をまたいで共有されるようになったことが、大きく影響しているのだろう。

コルビュジエが、あのトンボの黒縁めがねの奥で、こうした世界の流れを見越していたのかどうかはわからない。

けど、枠にとらわれず、文化を共有するという考えが、彼のモダンムーブメントにあったのではないかと思うのでアリマス。

 

今回の国立西洋美術館を入れて、日本では20件が世界遺産に登録されています。

一方で、この世界遺産という「ブランド」が、単に観光誘致の目的になってしまっているとの警鐘も。

今回の、国立西洋美術館登録の陰で、ひっそり登録延期されたものもありました。

 

高野山や熊野古道などの「紀伊山地の霊場と参詣道」。

2004年に登録されていますが、今回さらに古道などの追加を目指していました。

今回の登録延期の理由はわかりませんが、2004年に登録後、多くの観光客が押し寄せ、石段の苔が消滅するなどの自然破壊も起きているようです。

自治体は、保全活動よりもむしろ、観光客のための商店街整備などに力を入れてるという、、、ナンテコッタ。

 

本来、普遍的価値を保全しなければならないはずなのに、多数の観光客が詰め掛けることで、景観や自然が破壊されてしまうという、皮肉なケース。

富士山のゴミもそうですね。

 

「普遍的価値」

微妙な概念ですけど、せっかく認められたのなら、その良さを一番わかっている我々国民が、守っていかなんといけませんなあ。

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