アートという怪物

 

芸術は爆発だ!

かつて岡本太郎はそう叫んだ。

芸術とは一体何だろう。

〇〇の作品と言われるように、建築はよく芸術=アートとして捉えられる節がある。

建築屋の端くれながら、自慢じゃないが、ワタクシには美的センスがない。

欠けらもナイ。

まあ、いい。

 

それでも、そんなワタクシでも、感動はする。人並みには。

電車から見えた方角を頼りに、地図もない山道を辿って、朝もやの中に現れたロンシャンの教会、

クーポラから降り注ぐ光、

夕日に染まるアヤソフィア。

 

線と線との融合体が織りなすアートとしての建築を語るとき

わざとらしい横文字の、論理的用語を引っ張り出す必要は全くない。

哲学の言葉もいらない。

 

その美しさ、何だかよくわからない何かに突き動かされて、ただ涙が頬を伝う、

言葉を失って立ちつくす、それで十分だ。

 

建築だけでなく、絵画、音楽、演劇、ひっくるめて芸術と呼ばれるものは、このように、人の心に「感動」という、打撃を与える。

そして、良くも悪くも、人の心をいとも簡単に動かしてしまう。

まるでスーパーマジシャンのように。

 

古来、建築は、宗教の象徴であったり、広く権力を誇示するための手段として、その役目を担ってきたし、絵画や音楽が、一つのイデオロギーを表すものとして、活用されることもあった。

そこには、アートの持つ力によって、人々を煽動し、鼓舞し、大きなうねりのようなムーブメントを引き起こすということが、巧みに仕掛けられているのだ。

しかも、動かされる当の本人は、それに気づかない。

煽動されているという感覚はなく、自ら覚醒し、新しい世界が開けたと錯覚する。

 

断っておくが、アートのこうした力を否定しているのではない。

活力を高め、心の豊かさ、生活の彩りをもたらしてくれる、人間にとってはなくてはならないものだと思う。

しかし、その偉大なる力ゆえに、思わぬ方向に突き進んでしまう魔物でもある。

 

かつて、ヒトラーが画家を目指していたことは良く知られている。

品行不良だった中学、高校時代、学業の成績も思わしくなく、退学する羽目になるヒトラーは、画家を目指すべくオーストリア、ウィーンの美術アカデミーを受験する。

が、これに失敗。学長から、画家よりも建築家を目指したらどうかね、と勧められる。

当時のウィーンは、都心部を囲っていた土塁を撤廃し、そこに新たな環状道路「リンクシュトラーセ」を巡らせ、新たな都市形成で活況を呈していた。

国家レベルのプロジェクトが次々に姿を表すウィーンの街で建築に目覚めるヒトラーだったが、基礎学力のない彼には、そもそも建築学に進むための資格すら持ち合わせていなかった。

 

このときの挫折が、彼を狂人へと駆り立てたというわけではないのだが、それでも、もし彼が画家なり建築家なりになっていたならば、確実に歴史は変わっていただろう、と今更考えても無駄なことを考えてしまう。

 

彼に、芸術的センスがあったかどうかは分からない。

が、意識してか無意識か、彼は実にこのアートの持つマジックを巧みに国民煽動に使っていた。

唯一の武器は演説だと言われるほど、彼の演説は民衆の心を惹きつけた。

政治集会の舞台は、常に荘厳な建造物をバックにし、彼の推し進める政治思想が偉大なものであるという印象を、そのビジュアル効果をうまく使って聴衆に植えつけている。

オペラ歌手に発声を学ぶなど、自ら自身の演説に酔いしれる徹底ぶりは、人の心を惹きつける術を知っていたというよりも、単なるナルシストだったのかもしれないが。

 

ヒトラーに限らず、戦時中は、こうしたアートがプロバガンダとして使われる。

日本でも、当時世界的に有名だった画家、藤田嗣治が、軍部の依頼で従軍画家として戦争画を残している。

どんなに卑劣な戦況も、アートの手によって、「美しく」人の心を捕えたのだ。

人間の美的感覚なんて、所詮そんなものでしかない。

 

それでも、我々人間はアートなしでは生きていけない、社会的動物である。

実に皮肉なことだが。