「世界の工場」中国の工場地から人が消える

 

「会社の近くがいいよ、通勤のストレスもないし、終電を気にする必要もない」

ーーーは?

 

東京での仕事先が決まり、晴れて上京することとなった矢先、会社の社長がさらりと私に言ってのけた。

まあ、この業界は、いまでこそまともなトコが増えたかも知れないけど、昔は労働基準監督署に告発すれば、経営者は厳しいお咎めを食らうこと間違いない、そりゃもう、ムチャクチャな勤務でありまして、薄々、そんな事情も知っていたので、別に驚きもしなかったけれど、やはり流石に毎日終電、時に泊まりなんて生活を繰り返していると、だんだん頭がおかしくなってしまいましたわ。

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「職住分離」という都市計画の考え方がある。

これは働く場所と住む場所を完全に分離してしまう街づくりの手法。

業務効率化と住宅地の良好な環境を築くことを目的とする。

それに対し、職場と住居地を同じ地域内に近接し、混在させる「職住近接」という考え方は、通勤時間の節約、時間的なゆとり、プライベートの充実などを目的として、近年見直されつつある。

 

今はどこで何をしているのか存じ上げませんが、当時私にさらりと「職住近接」を言ってのけた社長の意図は、決して生活のゆとりを考慮してなんてものではなく、単に終電を気にせず働けということだったわけですが、もう、過去の話ですからどうでもいいことです。

 

なんでこんな昔のことを思い出したかといいますと、中国での中小企業の成長に限界があるということを鋭く解いた記事

「なぜ中国では町工場が育たないのか」

が目に入って、んーナルホド。と頷いてしまいました。

 

最近の中国製造業が勢いを失いつつあるという報道はあちこちで耳にするのですが、まあ、勢いを失ったといっても、今までが元気すぎたんであって、落ち着いたと見てもおかしくはないのですが、ただ、働き手(特に若者)が工場のある開発区へ寄りつかなくなったというのは、将来に暗雲である。

 

悪知恵に長けた経営者と質の低い役人の癒着など政治的腐敗も、もちろんその大きな一因ではあるのだが、政治的要因はとりあえず置いといて、中国(特に地方)に置ける職住のあり方が特徴的だ。

 

地方政府は、農地を次々と工場地へと転換し、工場開発区を形成する。そして、住居地と完全に分離し、工場開発区は、畑と工場意外何もない、若者にとって(若者でなくても)全く魅力のない街になってしまっているという。

 

我が国にも、都市計画法による用途地域が存在する。住宅を専用とする地域から商業地域まで、合計12の地域区分に分けられ、一応建物用途上の制限がある。住宅系の地域が制限が厳しく、商業系が一番緩く何でもOK。

工業系に関して言えば、準工業地域、工業地域、工業専用地域の3種類あって、工業専用地域以外なら、住宅や店舗を建てることは可能。

中国と比べると、随分柔軟な地域区分である。

ただやはり、工業地にいきなりマンションができちゃったりするわけだから、地元工場関係者と住民との摩擦もないとは言えない。

だから、職住分離という考え方も場合によっては、優位であると思う。

 

しかし、根本的に日本と中国、その国土の大きさでは、比較にならないわけで、日本のような狭い国で、ちょっと行けばすぐに賑やかな街にたどり着くのと訳が違う。

業務効率化を目指しても人が集まらないことにはどうしようもない。

 

働くということも、これまた人間の営みであって、そこには人間としての文化的な生活があってしかるべきだ、と思うのであります。

都市の秩序やルール、安全性など、基盤を整備することは生活上重要であるのは確かだが、都市の魅力とは、「そこにしかない何か」が存在するところにある。

都市の発達なくして、国の成長はない。

 

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